そう、今回の旅行は非常に唐突に始まった。去年の11月辺りから「ドイツに行きたい!」と、魔王などの周りの連中には言いふらしていたのだが、そのときはまさか本当に魔津藻がドイツに旅立つとは思っていなかっただろう。 だが魔津藻は本当にヨーロッパに行きたかったのである。しかも、まだ忙しくならない二年生のうちに。そうであるとするならば、ねらい目は2月から始まる春休みしかない。そう思い立ち、12月あたりからTRIXと旅行計画を立てていたのである。 1月に学年末試験が終わるや否や、怒涛のような準備の日々が始まった。ツアーの申し込み、カード、保険、トランクのレンタル。パスポート申請、写真…それはそれは疾風のごとき忙しさであった。 そんなこんなであっという間に旅立ちの日はやってきた。朝、早く成田空港に到着せねばならない。その日はとても寒く、すごい濃霧でちゃんと飛行機が飛ぶかどうか心配だったのだが、それは杞憂であった。 空港につくとすでにTRIXは到着していた。少し時間が余ったので、周りをぶらぶらして、ペットボトルの水を買おうと販売機へ。飛行機の中では水分というではないか。そしてまた、向こうにいっても飲み水がすぐに手に入るとも限らない。 だがしかし、そこで大きな問題点に気づいた。魔津藻が持っていたバッグに水が入らなかったのだ。まさか手で持ち歩くわけにもいかんし。魔津藻はしぶしぶ250円で丈夫な紙袋(ビニールが張ってあって、ぬれても大丈夫なやつ)を購入。のちにこの紙袋が、非常に重要な存在となるのだ。 いよいよ手荷物検査場へ突入だ!TRIXはふでばこにカッターナイフを常備していた・・・「これ、刃だけぬいときますねー」・・・・・刃のないカッター・・・・つーか、そんなもん飛行場に持ってくるなよ(笑)!! さて、内部に入ったところで、例のごとく紅茶を飲み、ワッフルを食って腹ごしらえをし、窓の外に見えるスイスの飛行機と一緒に写真をパチリ。さあ、いよいよ出発だーー!! 長い長い11時間のフライト。ドイツが近づくと、かわいらしい赤茶色の家々がきれいにならんでいるのが見えてくる。そしてなぜか、チカチカと家の屋根が光っている。この正体がソーラー発電だとわかったのはのちのちのことである。 フランクフルトの空港に到着して、ようやく憧れのドイツ!!しかしながら、もうすぐそこに最初のハプニングが迫っていた。着いたはいいが、関西から合流してくるはずの添乗員さんと、ツアーの人たちがいない。・・・着けばそこにいるものだと思っていたが・・・ 魔津藻とTRIXは歩き回った。しかし見当たらない。とりあえず荷物が出てくるところに行ってみることにした。TRIXはあわてて成田に電話・・・「今、フランクフルトに着いて・・・」で切れてしまったらしい。成田の人はどう思ったろう(笑) おっかなびっくり荷物置き場に行き、トランクを受け取る・・・が、やはりどこにもいない。そのまま我々はその近辺をさまよっていた。もう到着してから一時間が経とうとしている。どうしようか・・・・ そのとき、したしたしたと、日本人らしき女の人が歩いてくる・・・もしや!!?その人は魔津藻とTRIXの名を呼び、もうすでに他の人たちは集まっていると告げた。た、助かった〜〜〜〜!! かくして、ようやく我々はツアーの人たちと合流することができたのだった。 ツアーの人たちは全員で25人くらい。男の人は一人しかいなくて、あとはみんな同年代くらいの女の子たち。やはり、ロマンチック街道なぞ男がわいわい行くところでもないらしい。 みんなでバスに乗ってフランクフルトからハイデルベルクへ向かう。TRIX曰く、もしみんなと出会えなかったら直でホテルに向かうつもりだったらしい・・・ド根性・・。魔津藻はなんとなく、いつか会えるさ、と思っていた(楽観的)。 バスに乗っていると、もう5時。日本時間では夜の1時にあたる。うとうとしながら、やがて古城の町・ハイデルベルクへ到着する。静かで、穏やかな町だ。 そして、到着したホテルはたしか二つ星(笑)。でも、古くてそれなりの趣がある。日本の安宿なんぞに比べればよっぽどいい。我々の部屋は、たしか3階あたりにあった。エレベーターにて荷物を運ぶ。そこのエレベーターは、冷蔵庫のようになっていて、自分で扉を開けるようになっている。エレベーター内にはボタンがついているが、日本とはちと違う。ドイツにおける1階とは1階ではなく、日本でいう2階を指す。これが、たまに混乱した。 そのあと、ツアーの人たちは城を見に行っていたが、我々にはそんな元気はなかった。もーへとへと。ちょっとした夕食でも買いに行くか、ということで、近くのスーパーらしき店へ買い物に行った。そこではジュースと、果物の詰め合わせを買う。それほど高くない。レジの並び方がわからず、うろうろしていると、そこにいたおじさんがここだといわんばかりにジェスチャーで指示を出す。聞き取れぬドイツ語に戸惑いながらも、無事会計をすませる。 そのあと、小さなデパートだかモーテルだか知らんが、その建物内でパン屋を発見。そこで、ジャム入りドーナツっぽいパン「ベルリーナー」を二つ買う。初めてしゃべったドイツ語は「Zwai(二つ)!!」こんな単語ながら、ちゃんと通じた、初めてしゃべった、と妙にうれしくなった。明日は二桁の数字をしゃべっちゃる!と決意した。 部屋に戻ってきて、ささやかな晩餐。部屋の中はけっこう床がギシギシ、しかもカギがうまくかからない。トラムが通るたびに地面がゆれる。(最初は地震かと思った)だが、しばらくするとそれも慣れた。外を見ると薄暗くなっており、デパートや家、車のあかりでものすごくきれいだ。そこで、外の写真をパチリ。あとで見ると、暗くてよく写ってない・・・ そのうちほかのみんなが帰ってくる気配がする。我々はその日、すぐに寝てしまった。時刻は8時半くらい、日本時間では朝の4時。それにしても、みんな元気だなあー。 |
ああ、そういえば旅行にいくことを決めたときはけっこうあっさりしていたような気がする。
TRIXの記憶に残っている、魔津藻との最古の海外旅行に関する会話は、裁判所に行った日、裁判所の近くの噴水の周辺で弁当を食べているときにしたものだったと思う。先だってTRIXの高校時代の友人Pが海外旅行に行くために奔走していることを聞いたあとで、かつ、旅行に行こうと決める前であったから、あれは去年の秋頃だったのであろうか。そのときは互いに友人が海外に行ったの行かないのという話で終わったのであった・・・。 そして、具体的に海外旅行へ行こうという話が持ち上がったのは、忘れもしない・・・といいたいところであるが忘れていたので日記を参照して確認しました、それは2003年1月17日金曜日、魔津藻とサイゼリヤでミラノ風ドリア(税抜280円)をいただきながらのことであった。その日TRIXは風邪気味であった、と日記には記されている。細かいことは覚えていないので日記から抜粋。 『*1/17(金)・・・(中略)・・・海外旅行へ行くかもしれなくなる。多分2人で。わーい♪本場のパスタ〜(ハート)いや、まだイタリア行くとか決めたわけじゃないけど。・・・(後略)・・・』 抜粋は止めたほうが良かったかもしれない(恥)。細かいことは書いてないし。 食後、魔津藻と別れ、いよいよ具合が悪くなってきたので帰宅。晩まで臥せっていた。あの節は管理人さんにお世話になったな。熱を計っていただいたら39.5℃。死ぬ〜。・・・あれ、旅行記じゃなくなってるし。ここまで書いたのでその後のことも書こう。何日も寝込んでその間は旅行どころではなかった。よりによってこの忙しい時期に。後始末が大変だったではないか。 え〜と、次に旅行について日記に記されているのは・・・と。あったあった。2003年2月17日、魔津藻とパスポートを取りに行った。実に出発の10日前。むちゃくちゃギリギリやし。 それから・・・2003年2月21日、円をユーロに両替しに行った。1ユーロ=130円21銭だった。受け取ったユーロはすべて紙幣だった。硬貨がほしかった私はがっかりした・・・と日記に書いてある。あと、硬貨はユーロセントからなのだろうか、とも。(ちなみに、実際のところ硬貨は2ユーロからあって1ユーロ、50ユーロセント、20ユーロセント、10ユーロセント、5ユーロセント、2ユーロセント、1ユーロセント、紙幣は5ユーロから10、20、50、100、200かな。) 2月25日、5時前に起床。しかし興奮していて2時間と寝られなかったらしい。8時前に成田空港に到着。ぶらぶらしていると魔津藻父と魔津藻に会った。どうもガイドさんたちとは向こうで合流するらしいので、2人で出国手続きに向かった。 そしてこのたびも金属探知機につかまってしまいましたよ。このたびも、というのは、TRIXは金属探知機によく引っかかるのだ。いや、ゲートと名の付くものにはあまねく引っかかりやすいといってもいいだろう。以下に具体的に過去の例をいくつか挙げてみよう。(読み飛ばし推奨) さかのぼること●年、小学生だったTRIXは初めて飛行機に乗った。そのときにも当然金属探知ゲートをくぐったのであるが見事に引っかかりましたよ。TRIXと機械でできたゲートとの闘いの幕開けである。平凡な小学生TRIXが凶器を持っているはずもないが、そのまま通るわけにも行かず、係員に持ち物チェックされる。そしてウエストポーチから出てきたのは・・・、目覚し時計であった。・・・旅先で起きられなかったら困りますもの、ねえ? そして、時は下って、高校時代。2年生の5月、TRIXは修学旅行で大阪の梅田にいた。梅田駅で、初めて通る自動改札に引っかり、無理やり突破し(あれ、ちょっとがんばれば人力で突破できるんですよ☆)、飛んできた駅員さん約2名に諭された。関西弁だったことを覚えている。ちなみに班行動中だったのだが、引っかかったのはTRIXだけ、原因は皆と違う値段の切符を買ったことであった。・・・だって、初めてだったし。みんな気づかずに行ってしまうし。こんな都会の雑踏に1人取り残されたらと思うと不安だったんですもの、ねえ? あと、さらに時は流れて大学時代。TRIXは帰省に空路を使うのであるが、搭乗手続きの際に、しばしば常備しているカッターナイフやら何やらが引っかかるのであった。・・・カッターナイフ、あると便利なんですもの、ねえ?しかしあのころは平和だったのか刃を取り上げられたりすることはなかった。(最近は国内線でも機内にカッターナイフを持ち込めなくなってしまったが。) そして、2003年2月25日、国際線の出国手続きの際にいつものようにゲートで引っかかりカッターナイフを出す。てっきり返してもらえるものと思っていたのだが、刃は没収されてしまった。そしてTRIXは未だ見ぬ国へ旅だった。刃のないカッター(どうせいっちゅうんじゃい)を持って、ルフトハンザの飛行機に乗って。 実はこの因縁のカッターナイフに関しては後日談がある。旅行から帰ってしばらくして国内線を利用する機会があったのだが、今度は刃のないカッターナイフがゲートで引っかかってしまったのだ(笑)。筆入れからでてきた刃のないカッターを見て、係員の人々は困惑したとかしなかったとか。現在件のカッターは新しい刃を備えてペン立てで待機しております。いつかまたどこぞのゲートで引っかかる日に備えて・・・あれ? 機内は狭かった。いや、座っている分には問題ない、飛行機としては普通の広さである。問題はこの飛行機としては普通のこの狭い空間に半日ほど拘束されるということだ。眠ったりもするのだ。となると話は違ってくる。狭っくるしい。居住性はそれほどよろしくない。しかしそれはそれ、初の海外旅行ということでハイになっているTRIXはそれすらも旅の醍醐味として嬉しかった・・・かもしれない。もう、何もかもが面白かった。外国人のスチュワーデスさん、夜7時になっても明るい空、これから何を見て何を思うだろう・・・。 ところでTRIXは何かイベントがあると必ず恥ずかしい思い出をいくつか作ることになるという因果(なのだろうか?)の持ち主であるのだが、機内でさっそくひとつ素敵な思い出ができた。 それは昼食のときのことであった。機内にはおいしそうな香りが漂い機内食が運ばれてくる。私たちのところにも機内食の乗ったカートを押してスチュワーデスさんがやってきた。外国人のスチュワーデスさんで、当然日本語ではなく英語でこうTRIXに尋ねた。「Japanese or Western?(日本食にしますか、洋食にしますか。)」ふふん、きたか。海外に行く以上避けて通れないのが英語。苦手な英語。とはいえ、これくらいなら分かる。うん、日本食にしよう。私は堂々と・・・答えたつもりだったが、おそらくおずおずと答えた。「Eastern.」と。・・・選択肢にないものを答えてしまいましたぞ〜〜〜!!! しばらく間違いに気づかずしかるべき反応を待ち構えるTRIX。後に訂正して無事、『Japanese』のそばをすすることができたものの、しょっぱなから忘れられない思い出を作ってしまった。あのときTRIXの頭の中ではおそらくこうなっていたと思われる。Japanese→日本(東洋)→耳にWesternが残っている→Eastern☆ 5時ごろにはサンドイッチとチョコが配られた。チョコがなかなか濃厚でおいしかった。 夜7時ごろ、既に書いたが窓の外は昼。変な感じだ。 ・・・と、ここで日記は終わっている。ここからは忙しいやら楽しいやらで、一切日記をつけていないのだ。次の日付は3月9日、旅行から帰って、やたらとあまったユーロを今度は日本円に両替しに行ったことが記されている。困ったな。細かいことはよく覚えていないのだ。ので、ここからは魔津藻の旅行記を読んでがんばって思い出して書いていくつもりだ。ゆえに多少あっさりになるかも。 異国の地でふたりぼっちだ・・・。英語もろくに話せないのに・・・(TRIXは)。 飛行機からおりたったはフランクフルト空港。日本人観光客が大勢いた。しかし・・・日本旅行のツアー客やガイドさんが見当たらないのだ。瞬間、TRIXはやめておけばいいのに最悪の事態をシミュレートした。そして空港内を走り回った。思い出すだに恥ずかしい・・・。まず真夜中であろう成田空港に電話した。ワンコインで電話したので「もしもし、すみませんっ、今フランクフルト空港にいるんですがっ、」あたりで切れてしまった。・・・人騒がせだ。あと、走り回っている最中に帽子を落として見知らぬ人に拾ってもらったりとか・・・。うう〜〜。でも今となってはいい思い出だ。ちなみにその間、魔津藻は冷静に入国審査を待つ列に並んでいた。非常事態って対応に個人差がでて面白いですわね(笑)。 その後ガイドさんに無事回収されたときにゃあ、涙ぐみそうになってしまった。合流してみれば我々が最後だったらしい。・・・しかし、我等が迷子になっていて皆が待たされていたといった感じになっていたのはなにやら腑に落ちませんでしたぞ? その後バスに乗り込みハイデルベルクへ。町並みを見るだけでけっこう楽しい・・・と思ったかもしれない。 なにやらいい感じの街並みをバスは走ってゆき、ハイデルベルクに着いた。落ち着いた素敵な街だ。ハイデルベルクにはまたゆっくり来たいものだ。時は夕刻、空は薄暗くなっており、早くもぐったりな魔津藻とTRIX。しかし腹が減っては戦はできぬ。観光は体力のことを考えて断念するも街に繰り出して食料を調達。スーパーに行くだけで非常にわくわくきょろきょろ。売っているもの自体は大して変わらないのかもしれないが、パッケージがぜんぜん違うので楽しい。疲れていて食欲がなかったので、少量のパンと果物、果汁ジュースを買ってホテルに戻る。ささやかな晩餐。道路に面した窓からは路面電車が走っているのが見えた。寝る前にちょこっと日本に電話してみたり。初めての国際電話。ではないな、昼に成田空港に電話したんだったっけ。そんなこんなでドイツ1日目の夜はふけてゆくのであった。 |