え〜先日、ようやくわたくし、これをクリア致しました。いやはや、大変だったけど面白かったやね。こいつを買う前までは、スーファミのが最高だの、64は凝りすぎてて面白くないだのと、うだうだ言ったけれど、結局、これが一番面白かったと思うね。やっぱり、凝ってれば凝ってるだけ面白い。操作は難しいけれど、それも慣れである。とにかくやればやるほどハマるゲームだ。というわけで、今からこのゲームのすばらしさをみんなにもわかってもらえるように、いろいろ語ってゆくとしますか。 1.このゲームの凝りよう えーさっき、このゲームは非常に凝っている、と言いました。いったいどこがどのように凝っているのか。 まず何といってもアクションの多様性でしょう。攻撃の仕方一つ取ってみても、いろいろある。タテ斬り、ヨコ斬り、ジャンプ斬り、回転斬りに加えて突きまである。さらに驚かされるのは、横っ飛び、バック宙、回転アタック(でんぐりがえしみたいなもの)といったアクションだ。これはすごいでしょう。スーファミの世界では考えられないことだ。こういったアクションのおかげで、敵との戦いもますます面白く、充実するというものである。 さらに凝っているのがグラフィック。自分が本当にその場所にいるかのような感覚を起こさせる美しい映像もすばらしいが、何といっても太陽と月の昇りと沈み、アレがまことにすばらしい。夜明けが近づいてくると辺りの暗さが薄らいできて、空がピンク色になると同時に地平線からオレンジ色の太陽が昇ってくる。それはすばらしく美しい光景なのだ。 さらに、夕方になればほのかな夕焼けとともに日が沈み、反対の空から白い満月が、ゆっくりと昇ってくる。月の満ち欠けがあればもっとすばらしかったであろうが、しかし私は最初にこのゲームをやったとき、まずこの二つのことに感銘を受けた。 そして次に驚かされたのはリンクの「声」と「行動」である。なんと今回のリンクは声も出す。言葉をしゃべるわけではないが、「ハイッ」とか「はっ」とか「やぁーっ」とか「てぇいっ」とか、またダメージをくらったときなどは「うわーッ」というように声を出すのだ。これは、今までスーファミしかやったことのなかった私には驚きだった。また子供のときはカワイイ声だが、大人になるとシブくなっている。 だが、さらに、さらに凝っているのは、コントローラーにしばらく触れないでいると、リンクがいろいろな行動を起こすことだ!!靴をとんとんやったり、服をずりずり上げたり、剣を振ってカッコつけてみたり、のびをしたり、汗をぬぐったり、くしゃみをしたり、本当にいろいろなことをしてくれるのだ。見ているだけで楽しくなってくる。 どうだろう、おわかりいただけただろうか。64のゼルダというのはここまで凝っているのだ。しかし、すばらしいところは、なにもこういうところだけではない。そこで、今度は、そのすばらしいところというのを、さまざまな方面から見てみることにしよう。 2.音楽的な面から見て− 何につけても、音楽については必ずふれるのだが、今回は「時のオカリナ」ということで、音楽との関連が大きいので、くわしく見ていくことにしよう。まず、全体的な印象はどうかといえば、「まことにすばらしい」。オカリナ曲はもちろんのこと、いろいろなプレイス独特の音楽、どれをとってもすばらしい。 例えばワイルドでカッコイイ、ゲルドの谷での音楽、またストリングスの音が清楚で美しいゼルダのテーマなどは、お気に入りのナンバーである。オカリナ曲では、軽快なリズムのサリアの歌、テンポのよいDマイナーのワルツ、嵐の歌、素朴なメロディーで心を和ますエポナの歌など、オススメである。−それにしても、このオカリナ曲のすごいところは、すべての曲がレ、ファ、ラ、シ、レ(高い)、という、たったの五音で出来ているところである。たったの五音で、十二曲ものオカリナ曲を作ってしまったのである。しかも、その種類はワルツはもちろん、プレリュード、メヌエット、ボレロ、セレナーデ、ノクターン、レクイエム、と多種多様だ。それに音楽的にも優れているときた。これですばらしいと思わない人はおかしい(笑)。とにかく、「時のオカリナ」というだけあって、音楽が凝っている。だからやはり、それらの曲に見合うように、「カカシの歌」も、覚えやすいからと、単調に「二音だけ」とかにせず、少し音楽的にこだわって、作曲してあげよう。そうでないと、ピエールもやる気が出ないだろう。 「オーマイガーーッッ!」 ・・・・・・ま、いっか。 3.ストーリー的に見て− ・・・さて、ここまで述べてきて、困った事態が生じてしまった。実は、このゲームをクリアした直後に書いた内容は、音楽の話で終わってしまっているのだ。そこで、この章を書くのは、プレイした1999年から4年も経ってしまった2003年になってしまったのである。だが、中途ハンパで終わるわけにもいくまい。そんなわけで、さらっとだが、ストーリー全体の印象について、述べておきたいと思う。プレイ直後の新鮮な感動が伝えられないのが残念であるが、ご了承願いたい。 「時のオカリナ」はどのようなストーリーであったか、概して言えば「非常に美しい、夢のような物語」、この一言に尽きる。あの美しいグラフィックのせいもあるかもしれないが、それ以上に、物語そのものがすごく美しいと思う。すごくいい物語だったと思う。もちろん、ドラクエセブンのごとくこてこてに伏線を張っているわけではない。あくまでリンクらの目的は、今まで同様、打倒ガノンであり、トライフォースなわけである。しかし、やはり今までのゼルダとは明らかに違う、何か光るものがあるのである。何かが奥深い。それは何か。 やはり、オカリナで「七年の時を越える」というのが一つのポイントであろう。時間の流れをからませて、物語に奥行きを持たせていると思われる。七年の時を越えて、変わるもの・変わらないもの・・・それらを発見する。それがキーポイントの一つである。 次には、「オカリナ」や、ゴロン族、ゾーラ族といった人たち、さらに六人の賢者、それらの要素が混ざってストーリー・人間(?)関係に奥行きを持たせている、ということが言えるだろう。特に、サリアや、ルトなどの賢者の存在は重要である。 そう、それこそ何年もの時が経ってしまっていてうまく説明できないのだが、この「時のオカリナ」は、今までのもやもやした感じのストーリーだったゼルダとは違う。今まではアクション中心であったが、ストーリーにも重きを置き始めたということだろう。内容において高度なものを求めているように感じられる。それが、このゲームが数々の賞をとったゆえんでもあろう。 最後に、例によってエンディングについても述べる必要があるだろう。私は、これほどまでに「時のオカリナ」をほめながらも、エンディングについてだけは満足していないのだ。あのエンディングは、少々凝りすぎて、間延びしてしまったきらいがある。感動的な物語を終結するにふさわしい、すごいエンディングを作ろうとして、肩に力が入りすぎてしまったのだろうか。プレイヤーを感動させようとして逆に失敗した、という感じがある。もちろん感じ方は人それぞれであろうが、私は「ムジュラの仮面」のエンディングの方が好きだったな。感動したな。特に、アンジュさんの結婚式のところ・・・ただ、「時のオカリナ」の方でも、ナビィが去るシーンはちょっとさみしかった。あんなに「やっかましい妖精だな〜」と思っていたナビィだが、いざ別れるとなるとさみしいものだ。そして、あのシーンが次の「ムジュラの仮面」の物語へとつながってゆくのだ。 そんなわけで、このストーリーを賞味してみたければ、自らプレイすることを勧める。そして、「時のオカリナ」のすばらしさを実体験していただければ幸いである! 原文:1999.夏 |
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Last Revised 【7月】/【31日】/2003
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