主人公の無言性



 
ドラクエにおいて主人公は基本的に無言である。「はい」「いいえ」の選択肢以外は」一言もしゃべることがない。

 こんなことを言うと「そんなことないよ」という人もいるだろう。「そんなことないよ。だって、小さなメダルを『使う』にして、主人公に当たると『わっ。』 と言うじゃないか。」と。
しかしここで言っている「無言」とは、一定の文章についてのことであって、わっと言っただの、あっと言っただのといったことは「しゃべった」うちには入らない。ここでいう「話す」「しゃべる」とは、主体性を持って、意味のある一定の長さの文章を口に出すことを指している。

 ではなぜドラクエの主人公は無言か。かつてこの命題に挑戦した者がいたかは不明であるが、私はあえてとりあげてみようと思う。なぜなら、この性質の中にドラクエの特徴をかいま見ることができると思うからである。

 なにゆえに主人公が無言か、主人公が無言であることによっていかなる効果が生まれるか。その答えは、ドラクエの主人公がペラペラとしゃべっていることを想像すればおのずと見つかってくるのではないだろうか。
 そう、多くの人はこの「主人公の無言性」によってどれだけの恩恵を受けているかに気づいていない。
主人公が無言であるということは、まさに自分自身が主人公になれるのだということなのである。

 それは一体どういうことなのか。人がしゃべる、とは一体どのような行為かを考えればわかってくる。人が言葉を発するとき、その一語一語にはその人の性格、性質が非常によく現れてくる。話すということは、その人がどういう人間かを示す一つの基準になっているわけである。したがって、主人公がペラペラと話しているとすれば、その話し方、言葉遣いからその主人公の性格がわかってしまうわけである。FF(ファイナルファンタジー)などではまさにそうなっている。人の言葉に対して、ひとつのイベントに対して、主人公が言葉を発する。そうしてプレイヤーは主人公の人格を把握していく。

 では逆に主人公が何もしゃべらない場合・・・無味乾燥な返事しかしない場合どうなってくるか、もうおわかりだろう。プレイヤーは、主人公がそのとき何を考えているのか、何を仲間に語っているのか、自分なりに想像できるということである。つまり、自分の思っていることが主人公の思っていることである。そして、「はい」「いいえ」などの選択肢に、自分の性格がすべて現れてくるのである。たとえば、ドラクエZでフーラルという男にだまされたときに、あとで「あんときゃ悪かった、許してくれや」、みたいなことを言われてどう感じるか。それは、そのプレイヤー次第である。主人公は何も語らないので、何を考えているかはプレイヤーいかんにかかっているのだ。「仕方ないよ、許すよ」という心の広い人がいるかもしれない。また逆に、私のように何回も「いいえ」を選択して「お前、意外に執念深いヤツだな」と言われる人もいる。その人の性格がすべてなのだ。金持ちのおっさんにふりまわされたときに「ふざけんじゃねぇ」、と思うか、「仕方ないなあ」と思うか。王様に「宝箱開けてないだろうな?」と聞かれて、真顔で「いいえ」を選ぶか、正直に答えるか。それとも開けないのか。(私の場合すべて前者です(笑))プレイヤー自身の選択が、思いがすべて主人公の選択、思いとなる。そうして、あたかも自分がゲームの主人公になりきっているような感覚になる。自分自身が、主人公を通して、世界を巡っていく。そうしたことが、この「無言性」によって可能となる。

 もし主人公がいろいろとしゃべるのなら、プレイしている側としては、その主人公の物語を見るだけである。もちろん、主人公の考えに同調したり、反感を持ったり、納得したり、同情したり、そうした感情移入は可能であるが、自分自身の性格はほんのすこししか表現できない。主人公の性格は、創作者側によってすでに創り上げられているのだ。それがいいんだという人もいるだろう。それに対して反論する気はない。私もFFをプレイしているし、物語重視型のああいうゲームも面白いと思っている。しかし、ドラクエにおいては、この「無言性」によってもたらされる、「自分が主人公になれる」というポイントが最も顕著な特性として、また長所として表れている、ということも忘れてはならない。ここにドラクエのすばらしさのひとつがあるのだ。

 FFにおいて、あるキャラが主人公に「これはお前の物語だ」と言う場面があるが、まさにそのとおりである。FFの物語はまさに、その主人公自身の物語なのだ。
しかし、ドラクエは違う。FFは「彼」の、もしくは「彼女」の物語にしかならないが、ドラクエは「私自身」の物語になりうる。

 したがって、一見無味乾燥に思えたとしても、この「無言性」はドラクエにおいて非常に大事だといえる。そんなことを考えながらプレイすれば、ドラクエをもっと深いところまで堪能できるように思われる。

 以上、ドラクエにおける「無言性」の良さを総論的に述べてきた。次にはいよいよ、各論でドラクエのすばらしさを知っていただきたいと思う。

 

2003.7.24




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