総論:RPGのすばらしさ


 ここではまず、一般的にゲーム(特にRPG)をやることのすばらしさについてふれておこう。というのも,近頃では頻発する少年犯罪等の影響で「ゲームはできるだけ子供にやらせないほうがよい」という意見が広がっているように思えるからだ。たしかに世の中には、グロテスクで犯罪性が強いようなゲームも数多く存在する。しかしそういった一部のものを除いては、よくできたものが多い。

また、「ゲームをすると勉強をしなくなり、頭が悪くなるからやらせないほうがいい」と考えている親も多いかもしれない。たしかにその意見が当たっている面もある。しかし、必ずしもそうとはいえないということを私は主張したい。

 私は15年のキャリアを持つゲーマーである。だからといって決して私は頭が悪いわけではない。現にこうして有名私立大学に現役合格し、成績にも「優」ばかりが並んでいる。自慢でも何でもない。私は真実を語っているだけである。某有名国立大に現役合格した兄も大のゲーム好きであった。かの有名な高知県知事、橋本大二郎氏も、64ゼルダを繰り返しプレイしているという話である。

また、ゲームをやらない人の頭がいいとも限らない。ゲームをやらない友人・知人の中で私より勉強のできる人というのはなかなかいない。それほどオーバーなことを言っているわけではない。

さらに、最近の朝日新聞の記事によると(いつだかは忘れたが)、アメリカの調査で、レーシングゲームなどをやると、視覚の情報処理能力が高くなるという結果が出たそうである。

 要するに、勉強をしなくなったり、頭が悪くなったりするのはゲーム自体が悪いからではない。そのやり方が悪いからである。毎日5時間、6時間もやっていれば勉強時間は減る。その結果成績が悪くなる。当たり前のことである。その当然の因果をただ一括りにゲームのせいにしないでいただきたい。やり方がいけないのだ。時間を決めてやるなど、やり方さえ間違えなければゲームはすばらしい娯楽、趣味となる。

よって成績がふるわないゲーム好きの人は喜べ。あなたもクラス一の成績をとることは十分可能である。そしてまた肝に銘じていただきたい。成績が悪くなるのはゲームのせいではない。それはほかならぬあなた自身の責任なのだ。

 さて、本論に戻るとしよう。それでは、RPGのすばらしさとはどこにあるのだろうか。

 それはとりもなおさず、現実では決して体験できないことができてしまうところである。16、17歳の少年少女が世界を旅して人々を救う、いったいこんな体験がどこでできるというのだろうか。決してできまい。思うに、このようなゲームの中での体験を通して「世界を救いたい。人々を救いたい。」という気持ちが芽生えるのではなかろうか。ゲームの中では人助けをしないと先に進めない。したがって、否が応でも人助け、−しかも多くの場合無償−を体験することになる。

 これはすごい体験ではないだろうか。誰でも勇者になることができるのだ。世界に平和が戻ったときの喜び、これはたとえようもない。自分をこんなに必要としている人々がいる。自分でなければできない仕事がある。そのためなら、この命、投げ出してでも・・・と思わないだろうか。それは少しオーバーだとしても、私はドラクエなどのゲームをやることによって、将来大きなことをしたいな、と無意識のうちに思うようになったのではないか、と思う。もちろん、人それぞれの感じ方、ゲームの捉え方は違うのだろうと思うが・・。

 ゲームは少なからずプレイした人になんらかの影響を与える。特にドラクエなどの優れたRPGにおいては、人々に対する思いやり、自分が世界を救うんだという思い、そして美しい壮大な感動、そうしたものを与えてくれる、と思う。
 これこそが、私の言いたいRPGの究極のすばらしさなのである。

 

2003.7.7



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